ワレワレは宇宙人ダ!

自分がADHD(注意欠陥・多動性障害)であることを知り、「普通」が「普通でなくなった」人のつぶやき。

空気が読めない?空気は読まない?(その1)

最初はやはり、この話題から始めるべきでしょう。

ADHDがたんなる「うっかりさん」ではなく、コミュニケーション障害という側面を併せ持っているのは、この「空気が読めない」という特性によるらしい。

「お前は空気が読めない」というセリフ、本当によく言われます。それはもう、耳にタコができるほどに。そして、そのたびにこう言い返してきました。「俺は空気が読めないんじゃなく、読まない主義なだけだ」と。べつに負け惜しみで言っているわけじゃなく、最近まで本当にそう思っていました。

しかし、自分がADHDであることに気づき、関連サイトをいろいろと回った結果、僕が言うところの「俺は空気が読める」と、他の人が言う「空気が読める」との間には、どうやら非常に大きな隔たりがあるようだ、ということに気づき始めました。

ADHDに詳しく、自らもADHDであるやんばる先生いわく、多数派(いわゆる普通)の人は、脳に「空気」が直接プラグインされているらしい。そして、それがないのがADHDである、とのこと。

つまり、多数派の人は、わざわざ能動的に「空気を読む」ということをしなくても、なんとなく肌で「空気」を感じ、ごくごく自然に、直感的に他人の考えが分かるというのです。 

な、なんだってー>ΩΩΩ

そりゃあ、話がさっぱりかみ合わないわけですよ。僕、そんなニュータイプ的な超能力は持ってないですし、世の中にあることすら知らなかったですしおすし。ていうか皆さん、僕と同じように一生懸命「頭で」考えて、「これは言ってOK」「これは言っちゃダメ」と、頑張って言葉を選んでるんじゃないのかよっ、ていう。本当に驚きですよ。「実は地球が太陽の周りを回っていた」に匹敵するパラダイムシフトです。

ちなみに個人的な意見ですが、それ「読める」とか「読めない」の問題じゃなくね?むしろ「空気を感じる」「感じない」って表現にすべきじゃね?と思うんですが、いかがでしょうか。そういうふうに言ってくれてたら、たぶん20年くらい前に僕の誤解はとけていた気がします。

自分がADHDだと気づいた経緯(その2)

そんな時、2ch系のニュースサイトでとあるスレを目にします。

【医療】消えるアスペルガー症候群 米診断手引19年ぶり改訂で

いつもならスルーするタイトルですが、アスペルガー症候群に興味を持ち始めていたこともあり、少し読んでみることにしました。しかし、書いてあることはどれもピンときません。途中に出てきたアスペルガー診断テストというのもやってみましたが、16点かそこいらで、ほぼ平均点です。うーんと思いながら、さらに関連スレをいくつか覗いているうちに、下記ページへのリンクを発見しました。

ADHDとアスペルガー症候群との比較

タイトルの通り、ADHDアスペルガー症候群の傾向を比較した表です。これを読み進めていったところ、ADHDの特徴を示す1つの記述に目が留まりました。

「空気は読むものではない」。

これ、僕が常日頃から言っている言葉、そのまんまです。これまで、何度主張しても、決して他の人からは同意の得られなかった意見。それがここに、そのものずばり、書いてありました。衝撃が走りました。

改めてADHDのほうに意識を向け、注意深く読んでみると、そこには僕の特徴が寸分たがわず列挙してありました。

  • 納得しないと行動しない
  • 極端に合理的
  • 新しい物好き
  • 時間を守れない
  • 対人関係がドライ
  • 自分を有利にするための嘘はつかない
  • 「まだ使えるから」という理由で物を捨てられない

正直、驚きました。まさに「誰かが俺のことを、監視カメラで見ているな?」という印象です。今まで「良くも悪くも個性的」と思っていた自分の性格が、実はADHDのテンプレそのものだったとは。これは本当に大発見です。間違いなく、僕の人生における3大発見の1つに入ります。

そしてこの後、憑かれたようにADHD関係の記述を読みあさった結果、僕の性格、能力、悩み、極めつけは一番の趣味まで、さらにさらに多くのことがADHDに関係するのだと判明していきます。

自分がADHDだと気づいた経緯(その1)

ADHD(注意欠陥・多動性障害)というものに関しては、いちおう以前から名前だけは知っていました。ほんの一瞬ですが、何年か前にも「自分はADHDなのではないか?」と考え、WikipediaあたりでADHDのなんたるかを知らべたことがあったからです。しかし、その時に目にした内容は“多動性、不注意、衝動性を症状の特徴とする発達障害”という、ごくごく表面的なADHDの特徴のみでした。これらの特徴について、思い当るところは少なくはなかったですが、どちらかといえば「こんなのは多かれ少なかれ、誰にでも当てはまることじゃねーの?」という印象のほうが強く、すぐに興味が薄れてしまいました。

そんな僕がふたたびADHDに興味を抱き、自分がADHDだと確信するに至ったきっかけは、ちょっとした偶然でした。某所で知り合いを怒らせ、相手に「お前、発達障害なんじゃないのか?」と(おそらくは侮辱として)言われたことが契機になりました。経験上、上記の侮辱のような感情的に出た言葉は、変に建前で飾っていないぶん、結果として真実をするどく言い当てていることが多いと感じています。もちろんこっちも人間なので、その場ではムカッと来ます。だけど、少し経って冷静になった後で「自分にはそういう面もあるのかも知れないな」と考えるクセがあり、結果、「発達障害」というキーワードが頭の片隅にインプットされることになりました。

ただ、この段階ではまだADHDのほうに意識は向いていませんでした。発達障害、と言われて最初に思い浮かべたのは、悪い噂で有名なアスペルガー症候群のほうです。僕の理解では、ADHDはあくまで重度の「うっかり病」であり、人格やコミュニケーション能力に影響が現れるものとは思っていなかったため、発達障害という言葉からは連想されませんでした。代わりに頭に浮かんだのは、アスペルガー自閉症、(間違ってはいるが)知的障害や人格障害といった言葉でした。

はじめまして、宇宙人です。

最近、ひょんなことから自分がADHD(注意欠陥・多動性障害)であることに気が付きました。ADHD関連のサイトをいろいろと読んでまわった結果、今まで普通だと信じていた自分のモノの考え方が世の中的にはかなり「異質」である(正確には、そういう可能性がある)ことを知り、自身の世界観が135度くらい変化してしまいました。

これに関し、ここ数日いろいろと考えを巡らせた結果、話のネタとして結構な量のストックとなりました。ADHD人間のご多分に漏れず、ひっじょーに飽きっぽい性格なのでいつまで続くか分かりませんが、懲りずに新しいブログをはじめさせていただきます。

以下、以前に使っていたはてなダイアリーに書いたことのコピペ。リンクを貼るだけのつもりがけっこう長く書いてしまったので、緒言の代わりに再掲させていただきます。

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新しいブログの内容は、自分の発達障害に関する話です。どうやら僕は、ADHD(注意欠陥・多動性障害)らしいのです。まだ自己診断の段階なので確定ではないですが、個人的にはほぼ確信をもっています。

僕は、これまであまり「自分語り」というものをしてきませんでした。なぜかと言えば、自分の物事の捉え方や考え方は(多少は個性的かもしれないが)至って普通であり、わざわざ衆目にさらすほどの価値もないだろう、とこれまでずっと信じていたからです。また、あえて「普通の意見」を述べ、それに対して共感を求める、ということも必要としませんでした。結果、こういう場に書くことはほとんどが「事実」「体験」「アイデア」となり、僕の主観はどちらかというと、それら書き物の臨場感を盛り上げるための「小道具」として、いわば執筆のテクニックとして差し込んでいただけでした。それ以外で、積極的に自分の頭の中をさらしたのは、なにかに対する批評くらいでしょうか。

それが、です。「どうも全然違うらしい」ということに、このたび、40歳目前にしてはじめて気付いたんです。

新しいブログではひたすらに自分語りをします。まだ手を付けていませんが、おそらくは「俺ってこんなにも天才!」とか逆に「こんなにもだらしない」とか、ともすれば見苦しい系の自慢話や言い訳の類で埋まるんじゃないかと思います。なぜそんなことを書くかというと、それが「他人にとって普通でなく」「じゅうぶんに面白い」可能性がある、と思ったからです。これはひょっとしたら勘違いかもしれず、ただただ不愉快で見苦しいだけかもしれませんが、そのへんは「空気が読めない」ADHD人間として、試してみる価値があるかもしれないと思ったので、ノリと勢いでひとまずやってみます。

というわけで、怖いものが見たい人は新しいブログも読んでくださいませ。

PS
一見、精神を病んでる人のように見えるかもしれませんが、特に悩んでるわけではないので生暖かい目で見守ってください。