空気が読めない?空気は読まない?(その1)
最初はやはり、この話題から始めるべきでしょう。
ADHDがたんなる「うっかりさん」ではなく、コミュニケーション障害という側面を併せ持っているのは、この「空気が読めない」という特性によるらしい。
「お前は空気が読めない」というセリフ、本当によく言われます。それはもう、耳にタコができるほどに。そして、そのたびにこう言い返してきました。「俺は空気が読めないんじゃなく、読まない主義なだけだ」と。べつに負け惜しみで言っているわけじゃなく、最近まで本当にそう思っていました。
しかし、自分がADHDであることに気づき、関連サイトをいろいろと回った結果、僕が言うところの「俺は空気が読める」と、他の人が言う「空気が読める」との間には、どうやら非常に大きな隔たりがあるようだ、ということに気づき始めました。
ADHDに詳しく、自らもADHDであるやんばる先生いわく、多数派(いわゆる普通)の人は、脳に「空気」が直接プラグインされているらしい。そして、それがないのがADHDである、とのこと。
つまり、多数派の人は、わざわざ能動的に「空気を読む」ということをしなくても、なんとなく肌で「空気」を感じ、ごくごく自然に、直感的に他人の考えが分かるというのです。
な、なんだってー>ΩΩΩ
そりゃあ、話がさっぱりかみ合わないわけですよ。僕、そんなニュータイプ的な超能力は持ってないですし、世の中にあることすら知らなかったですしおすし。ていうか皆さん、僕と同じように一生懸命「頭で」考えて、「これは言ってOK」「これは言っちゃダメ」と、頑張って言葉を選んでるんじゃないのかよっ、ていう。本当に驚きですよ。「実は地球が太陽の周りを回っていた」に匹敵するパラダイムシフトです。
ちなみに個人的な意見ですが、それ「読める」とか「読めない」の問題じゃなくね?むしろ「空気を感じる」「感じない」って表現にすべきじゃね?と思うんですが、いかがでしょうか。そういうふうに言ってくれてたら、たぶん20年くらい前に僕の誤解はとけていた気がします。